本能寺の変 明智憲三郎氏の説についての批判

2023.7.10更新

近年、本能寺の変明智憲三郎氏の「本能寺の変431年目の真実」が認知されるようになってきました。

大河ドラマ麒麟がくる』の主人公は明智光秀ですから、時代考証ではありませんが筆者も話題になっています。

f:id:tkplala38:20210119094414j:plain

私は以前からこの書籍の内容が当時の史料と合わない部分があると指摘してきました。

筆者のブログにも何度かコメントさせていただきましたが、筆者の主張が変わることはなく、ブログで私のことを残念な人呼ばわりされてしまいました。

そこで私はこのサイトを立ち上げて筆者への反論を整理し、また戦国関連の書籍を見てもあまり行われていない(※2019年時点) 、軍隊や使者の移動速度・距離という視点から本能寺の変を検証してみたいと思います。

(この記事は非常に長くなっております。お時間のある時にゆっくり読んでいただければ幸いです。)

続きを読む

伊賀越えルートを史料から検証する

2023.7.29更新

伊賀越えのルートは史料によって違いがあり、諸説あるので史料を基に考察してみたいと思います。

天正10年(1582年)の信長による武田攻めの後、信長は帰還する際に徳川領で接待を受けます。

そのお礼として、信長は家康を招待して京都や堺で遊覧をさせますが、そこで6月2日の早朝に本能寺の変が起きてしまい、家康一行は急遽帰国することになりました。

まずは家康が変の一報を知る場面ですが、その内容は『茶屋由緒記』に詳しく書かれています。

(『茶屋由緒記』はご先祖を讃える後世の由緒なので信憑性は微妙ですが、内容がリアルなのと、『石川忠総留書』のルートに合うためこの部分は信用しています)

 

まずは別の記事で作成した、堺~飯盛山~京都周辺の地図になります。

※『石川忠総留書』に基づく飯盛山までの想定ルート。

続きを読む