2019.9.26更新 謎が多い明智光秀の年齢。野口隆氏による光秀の享年に関する論文がわかりやすかったので、それをもとに光秀の享年が書かれた史料を古い順に並べてみました。
2023.7.10更新 近年、本能寺の変は明智憲三郎氏の「本能寺の変431年目の真実」が認知されるようになってきました。 大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公は明智光秀ですから、時代考証ではありませんが筆者も話題になっています。 私は以前からこの書籍の内容が…
2020.4.17更新 山崎の戦い布陣図 天正10年6月13日に行われた、山崎の戦いについて考えてみようと思います。
2023.7.29更新 伊賀越えのルートは史料によって違いがあり、諸説あるので史料を基に考察してみたいと思います。 天正10年(1582年)の信長による武田攻めの後、信長は帰還する際に徳川領で接待を受けます。 そのお礼として、信長は家康を招待して京都や堺で…
本能寺の変で唯一現場にいた兵士が残した記録として有名な、『本城惣右衛門覚書』について考えてみます。
天正10年6月2日早朝、明智光秀は本能寺を襲撃して信長を討ち、その後嫡男の信忠が宿泊していた妙覚寺へ向かいます。
5月28日に伯耆国の国衆である福屋隆兼(彦太郎)へ、明智光秀が出したという書状について考えてみます。